乙女高原は,牧丘町の西部にある,標高1700mの亜高山性高茎草原を中心と
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した地域です。この草原が広く人々に認知されるきっかけとなったのは,昭和26
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年(1951年)のことです。当時,山梨県内にはスキー場がなく,スキー選手は長野
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県にまで出かけて練習をしていました。県内にスキー場の候補地を探していた
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スキー連盟の五名がたどりついたのが乙女高原だったのです。
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乙女高原『発見』の翌々年にはスキー場用地使用協議が成立し,第1回東山梨
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郡下スキー大会が行われています。これより半世紀に渡って乙女高原はスキー場
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として利用されてきました。
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そして,スキー場として管理するために,毎年初冬,町の青年団等による草刈り
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が行われてきました。草刈りと同時に草原内に侵入した若木まで刈っていました
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ので,放置しておけば草原から森林へと遷移が進むはずなのに,遷移停滞が起こ
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り,美しいレンゲツツジやたくさんの草花が咲き乱れる,中部地方の亜高山帯
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特有の美しい草原景観が永く続いています。
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ところが,涼しくて俗化していない乙女高原を訪れる人は年々増え,それに伴
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い,様々な問題も起きています。
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例えば,草原内への踏み込み,ゴミ等の放置,植物や昆虫の違法な採取,帰化
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植物等の非意図的搬入,遊歩道の土壌浸食などです。
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一方,人手不足によって草刈りできる面積が減少し,その結果として,草原内の
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いたるところで,止まっていた遷移が進みつつあります。また,雪不足や他の
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場所での人工スキー場の開設などにより,乙女高原のスキー場としての使命は
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終わり,2000年3月でスキー場用地使用協議も切れました。つまり,〔今後は
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スキー場として管理するための草刈りは行わない〕ということになったのです。
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今後も,この乙女高原の亜高山性高茎草原を保全していくのか,それとも,
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草原が森に飲み込まれていくのを見守るのか?…乙女高原に関わる多くの人々の
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間で議論し,ゆるやかな合意を得た上で,実際の作業に取り組まなければなりま
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せん。さらに,もし,草原を保全するとしたら,誰が実際の作業をしていくの
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か,つまり,担い手や受け皿をどうするのか。また,乙女高原で起こっている
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様々な問題にどう対処していくかについても現状を正確に把握し,適切な対応を
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取らなければなりません。
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そんな折も折,山梨県の『森林文化の森』事業の対象地域の一つに乙女高原が
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選ばれ,『乙女高原の森』連絡会議がスタートしました。
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『乙女高原の森』連絡会議では,乙女高原で行う体験プログラムの目的を
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『乙女高原の自然を守る』とし,様々な体験プログラムを開催すると同時に,
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県に対して早急に『乙女高原の森の保全および活用』計画を策定するよう提言
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しました。私たちは,『乙女高原の森』連絡会議での議論をふまえた上で,乙女
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高原の自然を守るためには,『乙女高原の森の保全および活用』計画が策定さ
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れ,『乙女高原ファンクラブ』を立ち上げ,乙女高原の情報を広く発信したり,
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多くの人で乙女高原(の保全や活用)について議論できるような『場』を用意
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した上で,乙女高原インタープリターを養成したり,乙女高原ボランティア活動
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の計画を立てたりしていくことになりました。
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乙女高原ファンクラブの立ち上げは,今後,末永く乙女高原の自然を守り,
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そして活用していくための第一歩と言えるのです。
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乙女高原ファンクラブは、活動の義務、会費の義務はありません。
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寄付金、助成金等により運営されています。ご協力をお願いします。
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