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 乙女高原メールマガジン 第13号・・2001. 4. 1.

発行者:植原 彰 (乙女高原のある町・牧丘町在住)
      Eメールアドレス  xxxxxx@j-gate.net

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   (((植原からのメッセージ)))
 今日,久しぶりに乙女高原に行ってきました。山梨は昨日,季節はずれの大雪で,
ウチのまわりも真っ白になってしまいました。「乙女高原まで行けるかな?」と少々
不安でした。案の定,林道は途中から真っ白。途中,スタック(雪にタイヤが埋もれ
てしまい,身動きできなくなること)するハプニングもありましたが,なんとか乙女高原
にたどり着き,真っ白い高原を歩いてきました。乙女にはすでに足跡がありましたし,
テレマークスキーをやりに来たというおじさんもいました。昨日,降ったばかりだからでしょう。
動物の足跡はまったく見つかりませんでした。
 いよいよ今月22日は『乙女高原ファンクラブ』設立総会の日です。今年度もよろしく
おねがいします。

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 『乙女高原を語る 2000.3.
  記録集』ができました。

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 昨年3月11日に,牧丘町総合会館で『乙女高原を語る』というイベントを行いました。
イベントは二部構成で,第一部は『乙女高原の春夏秋冬』というタイトルで植原が
乙女高原のスライドを上映しながら,乙女高原の自然についてお話をしました。
第二部は昔から乙女高原に関わりのあった5名の方にご登壇願い,パネルディスカッ
ションを行いました。その記録集がようやく完成しました。500円でお分けします
(5月末日まで,送料はサービスします)。ほしい方は,植原までメールにて送付先の
ご住所・お名前をお教えください。代金は『記録集』送付後で結構です。なお,部数に
限りがありますので,先着順とします。

***『乙女高原を語る 2000.3.
  記録集』***
○A4版,本文84ページ,写真58点
○主催:山梨県塩山林務事務所,山梨県林業公社,牧丘町,「乙女高原の森」連絡会議
○パネラー(敬称略):古屋利雄(北奥仙丈他二恩賜県有財産保護組合長),津野正康
(山梨県スキー連盟副会長),古明地登吉(牧丘の自然と親しむ会),藤原孝信
(元グリーンロッジ管理人・元VYS会長),広瀬義一(牧丘町長)
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 その内容をちょっぴりだけ紹介しますと・・・・

(植 原)…さて,本日のパネルディスカッションですが,大きく3部構成で行います。
パート1は『これまでの乙女高原』というテーマで,パネラーの皆さんに昔の乙女高原や
高原のまわりの様子,そのころの乙女高原の自然と人との関わりについてお話して
いただきます。休憩時間を取った後,パート2としまして『今の乙女高原』というテーマで,
乙女高原の現状についての問題点を,皆さんと一緒に明らかにしていこうと思います。
そして,続くパート3では『これからの乙女高原』というテーマで,今後,わたしたちが
乙女高原とどのように関わっていったらいいのか,パネラーの方々からご提言を
いただきます。パート3では,フロアーの皆さんからのご意見も直接,
お聞きしたいと思っています。よろしくお願いします。
…トップバッターは北奥仙丈他二恩賜県有財産保護組合長の古屋利雄さんです。
古屋さんには乙女高原ばかりでなくそのまわりの状況などについてもお聞きしたいと
思います。

(古 屋)わたくしは,北奥仙丈他二山の保護組合長の古屋でございます。二山と
いうのは西奥仙丈と甲府市の上流になる唐沢のことでして,これに北奥仙丈を含める
と,約3千町歩の山林を保護する組合でございます。その組合長として,今回のパネ
ルへの出席を求められました。
 さて,乙女高原との関わり合いということでございますけど,乙女高原に限らず,
山との関わり合いというテーマで話を進めたいと思います。
 昔の山と地域との関わり合いがどうだったかといいますと,山がなければ生活が
1日たりとも成立しなかったし,先人の方々にはものすごい苦労があったのでありま
す。なぜならば,3食のご飯を煮るにも,寒い時に暖をとるにも,全ては薪に頼って
いたわけであります。そしてまた,山つきの人たちはそういったものを里の人たちに
供給することによって現金収入を得,それで生活が成り立っておりました。また,
里の人たちも当然,煮たきや暖をとるのは薪や炭であり,また,かつて肥料の無い時代
は,下草を刈り,それを燃やして灰にし,それをカリ成分として肥料として使っていたので
ございます。そういったことで,現代と違って,1日として山との関わりが無くては生活
できなかったわけです。
 山つきの皆さんは,農作業が終わる秋になりますと,ある者はぼつぼつ山に出掛け
て炭を焼きます。それらの人は,それから半年間も山にこもりきりになります。それ
から,『仕送り』と言って,山にこもった人たちに食料を届け,また,焼けた炭を持
ち帰って,里の皆さんにお売りするという者もおりました。ですから,炭焼きの仕事
としましては,炭を焼く者と仕送りをする者の2つに分かれていたようでございます。
 そしてまた,秋になりますと,それぞれ決まっている区域に入って,干し草という
ものを刈ります。さきほど言いましたように,(化学)肥料のない時代にはそれを灰に
して畑にまいたのですが,その後,肥料ができて,使われなくなりました。
 また,今は物を運ぶのは車ですが,昔は全て馬に頼っていたのでございます。その
馬の餌として,冬の間,その刈り草を加工して,それを餌に混ぜて補給しておりまし
た。本来なら馬の飼料としましてはわらがいいのですが,山つきの者にはわらがそう
そう手に入らない。そこで,干し草を2階等に確保しておいて,それを馬の餌の足し
にしたということでございまして,本当に山とは切っても切れない縁があるわけでご
ざいます。
 その干し草刈りですが,秋が終わりますと,さっそく入会の採草地に行って,いち
早く自分で縄張りをつくる。縄張りも勝手に自由気ままというわけではございません。
ある規則がありまして,その中で,いい場所を自分でとって,「これは俺のところだ」
ということで鎌を入れる。そうして,自分の区域を決めておいて,里の野良仕事が
一段落ついたら,山に入って,草を刈ります。そして,3日くらい干したやつを馬に
載せて里に帰ってきたのでございます。…

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 乙女高原ファンクラブ 第2回 発起人会
*4月9日(月) 夜7時より
*牧丘町役場の会議室にて
*内 容
・規約案の決定
・役員案の決定
・2001年度の活動計画について所
・設立総会での役割分担
・その他
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 乙女高原ファンクラブ 設立総会
*4月22日(日) 午後2時より
*牧丘町民文化ホール
*設立について,規約について,役員について,
 2001年度の活動計画について 他
*3時半からは設立記念映画会として
 「明日は咲こう花咲こう」の上映。
 吉永小百合主演。昭和38年。
 乙女高原や焼山峠がロケ地になった映画。
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  『乙女高原メールマガジン』とは? (再録)
         植原 彰
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 乙女高原は,わが町・牧丘町にある標高1700メートル・亜高山帯の草原です。
まわりは森なのに,ここだけは約3.4ヘクタールの広さの草原です。初夏のレンゲ
ツツジや夏のお花畑のような景観が有名です。

  ぼくは,この乙女高原に魅せられ,20年間に渡って通い,自然観察を続けていま
す。今では自分にとってかけがえのない場所になってしまい,乙女高原の自然を守る
ために自分にできることは何でもやっておきたいと思っています。このメールマガジ
ンも,ぼくにとっては,乙女高原の自然を守るための一つの手段です。

 このメールマガジンでは,ぼくの目を通しての季節ごとの乙女高原の様子や,ぼく
が知っている範囲での乙女高原に関する様々な取り組みについて紹介します。

  お名前とメールアドレスを教えていただければ,希望者に無料で配信します。また,
ご迷惑でしたら,ご一報くだされば,配信を停止します。できましたら,お友達等にも
紹介してください。できるだけ多くの人に乙女高原のことを知ってもらいたいし,
乙女高原の自然を守っていくために多くの人からアドバイスをいただきたいと考えています。

  皆さんからのご感想,ご投稿を楽しみに待っています。


 (((((バックナンバーのお知らせ)))))


(この号は223人の読者の皆さんにお届けしています)

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