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   乙女高原ファンクラブ 公認
 乙女高原メールマガジン 第040号 2002.1.26.
発行者:植原 彰 (乙女高原のある町・牧丘町在住)
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   ((( も く じ )))
【乙女高原リアルタイム・リポート】・・・・2002年1月26日
  ・雪が少ない!
  ・シカの樹皮はぎあと発見 ほか

【乙女高原ファンクラブ活動リポート】・・・・2002年1月19日
 ざ・座談会「乙女高原にかける夢を語り合おう」
  ・スキー場の名前は「乙女高原スキー場」ではなかった!ほか


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※乙女高原ファンクラブの次回の活動は・・・・
   総会と講演会
   2002年3月23日(土)の午後
   牧丘町文化ホール(はなかげホール)

講演会では「アッと驚く方」を講師にお願いする予定。次回のメールマガジンで
「正体を明かす」ことができると思います。お楽しみに

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 【乙女高原リアルタイム・レポート】
 ・・・・・2002年1月26日の乙女高原・・・・・

ブナじいさんの森で、シカの樹皮剥ぎ跡発見!
          植原 彰

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■今年は雪が少ない!

 1月26日、久しぶりに乙女高原へ行ってきました。今夜から雪が降るという天気
予報だったので、「だったら、降る前に行ってくるか」と思ったのです。
 そま口林道経由で行ったのですが、柳平まではまったく問題なし。そこから焼山峠
までは多少、道も凍っていましたが、大丈夫。そこから乙女までは途中アイスバーン
になっていて運転が怖いところもありましたが、いつもの年に比べたら、楽勝楽勝。
 冬の初めが寒かったし、年末にしっかり雪が降ったので、今シーズンの雪の多さは
覚悟していたのですが、なんか拍子ぬけって感じです。
 それでも乙女高原の草原は2/3くらいが雪に覆われていました。

 林道を走っていると、木々の枝に、所々、青々とした丸いボール状のものが見えま
す。よく見ると、それは葉のかたまりでした。ヤドリギが枝についていたのです。
 ヤドリギは、ネバネバした汁に包まれた、甘い実をつけます。これを鳥が食べ、
ウンチをすると、ネバーッとしたウンチになって、木の枝に引っかかりやすく、そこ
から芽が出てくるといいます。食べる鳥の代表選手がキレンジャク・ヒレンジャクと
いう歌舞伎役者みたいな模様のある鳥なのですが、このへんもレンジャクの渡りの
コースになっているのかなと思いました。
 冬というと自然観察には不向きのようにとられがちですが(寒いし・・・)、冬だ
からこそ、よく見える自然もあるんだなと、改めて思いました。


■新しい樹皮の剥ぎあと発見

 さっそくいつもの身支度をして、歩き回りました。「刺すような寒さ」という表現
がありますが、今日の乙女はまさにそんな感じ。空気が冷たくて、トゲトゲしていま
す。
 雪は硬くしまっていて、草の上や地面を歩くより、歩きやすい感じです。でも、
時々、ズボッと長靴の半分以上までもぐってしまうことがあります。やっぱりスキー
場だっただけあります。
 ウサギの足跡やキツネの足跡を見ながら、ブナじいさんの森まで行きました。

 ブナじいさんの所からひょいと下を見たら、皮を剥かれて白い中身が出ている木が
何本か見えました。
 「シカの皮剥ぎだ!」
と直感し、少しずつ近づいてみました。
 最初は3本だと思っていましたが、皮をはがされているのは4本。どれも同じ種類
の木のようです(たぶんハンノキ。春になったら、調べて確定します)。根本から
150センチくらいの高さまで剥がされています。
 今まで乙女周辺の森で見かけた剥ぎ跡は、どれも比較的細い、若い木(直径3−6
センチ)だったのに、4本とも立派な成木でした。幹の周囲全面が剥がされているわ
けでなく、半分くらいがきれいに剥がされていました。

 周囲を調べてみると、立派なシカの糞がたくさん落ちていました。草食獣の糞を
英語でドロップというそうですが、まさにそんな感じの糞がポロポロ落ちています。
ドロップを長い間ほったらかしにしておくと、互いにくっつきあって塊になってしまう
ことがありますが、そんな感じの糞もありました。
 そして、どういうわけか、樹皮剥ぎ跡のある木々のまわりだけは、表土が剥き出し
になっていて、不自然に落ち葉がないのです。落ち葉をガサガサかき分けているので
しょうか?

 そんな目で周囲を見てみると、不自然に落ち葉がないところがもう一箇所あり、
近づいてみると、やっぱり樹皮剥ぎ跡が見つかりました。そして、やっぱり同じ種類の
木みたいでした。
 シカの糞にしてはやけに小さいのが落ちていたり(去年生まれの子どもでしょうか
?)、シカ道をトレースして歩いていたら、そこはノウサギも利用しているらしく、
真新しいウサギの糞もありました。

■がんばれ、若モズ

天気が怪しくなってきたので、あまりゆっくりしないまま、乙女の「ゲレンデ」まで
戻ってきました。
 遊歩道のロープを巻きつけた杭が残っているのですが、一本の杭の上にちょこんと
鳥が止って、尾羽をクルクルと動かしています。
ひと目でモズと分かるのですが、双眼鏡でよく見ると、模様の色がなんだか薄いし、
くちばしに幼さが残っています。
 きっと去年生まれたばかりの若鳥だと思いました。こんなところで冬を越せるのか
なあ・・・・?
 若モズは杭から地面に降りてはなにかをつつき、また、次の杭に止る・・・という
のを繰り返していました。
 来春、一回りたくましくなったこのモズに再会したいなあと思いました。

 それにしても琴川ダムの建設現場はすごいです。
 今までダム建設といってもなんかイメージが湧かず、今の風景の中にスポッとダム
のコンクリートが入るような漠然としたイメージしかいだいてなかったのですが、
林道の道幅が広がって国道みたいになっていくわ、ダム湖の底になるようなところは
根こそぎ森がなくなっていました。一応、写真に撮ってきましたが、すごい風景です。
 「ああ、ダムができるというのは、こういうことなのか」と思いました。


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【乙女高原ファンクラブ活動リポート】
  ・・・・2002年1月19日・・・・・・

 ざ・座談会「乙女高原にかける夢を語り合おう」

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標記のイベントが牧丘町の中牧多目的集会施設で行われました。参加者は30人ほ
ど。まず乙女高原の語り部お三方よりお話を聞き、それから車座になって、意見交換
をしました。
 終了後、有志で懇親会。なんと参加者の半数が参加してくださり、こちらでも話に
花が咲きました。

■スキー場の名前は「乙女高原スキー場」ではなかった!

語り部のお一人目は古屋利雄さん。「乙女高原を語る2000.3」でもパネリスト
の一人として、昔の人がどのように乙女周辺の自然(山)を利用していたかをお話し
ていただきましたが、そのときと同じような話をしてくださいました。

 語り部の2件目は三枝功さんと飯島譲治さん。
 三枝さんは乙女高原のスキー場をオープンさせた昭和26年当時の峡東スキークラ
ブの会長さんで、当時の手帳を持ってきてくださいました。当時のことを知る貴重な
資料です。
 飯島さんは当時、峡東スキークラブの「一番若造の」役員だったそうで、乙女のふ
もとの集落である塩平に一週間泊まりながら、スキー場の適地を探したといいます。
「乙女はオレが見つけたところだから」という自負と愛着を持っておられ、草刈りや
遊歩道整備のボランティアに率先して参加くださっています。

 三枝さんの手帳の記録によると、昭和25年(1950年)11月3日、雨の中を
山梨県スキー連盟の役員と峡東スキークラブの役員、合計10名ほどで柳平から焼
山、乙女高原のあたりを視察したそうです。本当は柳平をスキー場にするのがよかっ
たのですが、もし、そこをゲレンデにしたとすると、滑り降りてきたところにトロッ
コのレールがあり、危険だろうということで、乙女高原に軍配が上がったのだそうで
す。

昭和26年(1951年)1月20日にはスキー場の開場式があり、2月17日、
18日には「カーニバル」と名づけたスキーのお祭りまで行ったそうです。そして、
翌27年2月10日には東山梨体育祭冬季大会を行ったのだそうです。
 飯島さんの話によると、今の広い駐車場の下に水が出るので(今でも湿地になって
います)、そこに小屋を建てようと手塚 亘さんが言い出し、手塚さんの馬小屋を
持ってきて、ここに建てたのだそうです。それが2000年秋に解体されてしまった
手塚小屋です。

以上が、乙女のスキー場としてのデビューのいきさつです。
ところで、スキー場の名称ですが、三枝さんによると、「乙女以外にもスキー場を
開設したい」という大きな構想があったので「金峰山麓スキー場乙女ゲレンデ」と
名づけたそうです。
 それがいつの間にか「乙女高原スキー場」になってしまったわけで、いつ、どんな
いきさつで名前が変わってしまったかは不明です。


■自然保護と観光の両立は可能か?

 第2部の座談会では、遠く横浜や東京から駆けつけてくれた方、地元で民宿を営ん
でいる方、乙女の魅力に惹きつけられた主婦の方、県や町の職員の方、また町長さん
まで・・・・。いろいろな人が意見を述べてくれました。
 今回は「皆さん、肩書き抜きで、自分の言葉でしゃべりましょう」を合言葉に。

○牧丘の観光資源として重要だが、貴重な自然が荒らされてしまうのは心外だ。
○上高地のような交通規制も必要なのでは?
○山野草を根から掘り取ってしまう人がいる。マナーをなんとかしたい。
○室伏学校(明治時代の藤村式建築の小学校)を乙女高原に移築し、乙女高原博物館
としたい
○乙女高原のロープをはずしたい。
○おおげさなものでなくても、乙女で野草を摘んでいる人に注意しやすいように、
ファンクラブの身分証明証を発行したらどうか 

などがおもな意見でした。


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 乙女高原メールマガジン 第040号 2002.1.26.
発行者:植原 彰  (xxxxxx@j-gate.net)

※この号は270人の読者の皆さんにお届けしています
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