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乙女高原メールマガジン 第8号・・2001. 2.18.
発行者:植原 彰 (乙女高原のある町・牧丘町在住)
Eメールアドレス  xxxxxx@j-gate.net
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(((植原からのメッセージ)))

 

みなさん,またまたごぶさたしております。

2月10日から12日まで新潟に行ってきました。自然観察指導員全国大会に参加するためです。
会場のすぐ近くに佐潟というラムサール条約に登録された湿地があって,
ヒシクイやハクチョウやカモたちがいっぱい来ていました。それを目当てにオジロワシや
ハイイロチュウヒなどの猛禽まで姿を現して・・・・自然観察を楽しむことができました。

 

乙女高原ファンクラブの設立総会が4月22日(日)と決まりました。総会にぶつけて映画の上映も行います。
なんと封切りが昭和38年の映画,主演女優は吉永小百合です。じつは乙女高原付近はこの映画(『明日は咲こう花咲こう』)
のロケ地だったのです。詳しくは,次回以降のメールマガジンでお知らせします。

 

さて,今回は,前回の足立さんに続いて,またもお寄せいただいた原稿の紹介です。今回は,

北海道大学農学部附属天塩地方演習林にお勤めの浪花 彰彦さんからのものです。
やっぱり乙女高原での活動のヒントがたくさんあります(例えば,生えているレンゲツツジに着目して,
それを手がかりに,昔からの土地利用を考察されているところ)。ぜひ,じっくり読んでみてください。
浪花さん,貴重な原稿をありがとうございました。

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「草刈り論争」への一つの視点

浪花 彰彦

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個々で論じられている問題の一番の焦点は、やはり「草刈り論争」についてでしょう。
この件に関して私は、農水省の守山さんの意見を全面的に支持します。
(植原注:守山 弘『むらの自然を生かす』(岩波書店,1997)。乙女高原メールマガジン 5号で紹介させていただきました。
なお, 5号を読み返してみたら,『守山 弘』さんのところが『守山 守』さんになっていました。

謹んで訂正します)

ここに書かれている記述は、植生管理に関してほぼ一般的に知られてる事実だと言って良いと思います。

草原の維持というのは、極端に言えば草原から森林に遷移していく自然の流れを人為的に止めることです。
そのため、田畑の管理とはまったく別物と考えてもらった方が良いでしょう。

ですから、自然農の理念から草の持ち出しに反対する意見については、私は支持できません。

じゃあ草原を維持するために、ボランティアによる草刈と草の運び出しを行うのがよいかというと、
私はそれにも賛同しかねます。それはあまりに非効率で、先人の知恵というものを無視しているからです。

かつて日本の山村社会では、草地の維持というのは、それ自体がひとつの系統だった技術として存在していました。
田んぼの作り方と、林業のやり方がそれぞれ独立した技術体系であるように、草地を維持するための伝統的技術
というのもかつてはちゃんあったのです。草原を維持したいのであれば、まず第一に、かつてはこの地域にも
伝わっていたであろう先人の知恵について学ぶべきでしょう。

その点から言っても、田畑の管理技術を草地に当てはめるような視点や、安易な人海戦術に頼るような方法は、
私にはあまり感心できません。

 

そもそも、日本の自然条件から言えば、天然の草原というのは非常に成立しにくいので、
長期間草原であった場所というのは、伝統的に草地を維持して利用してきたような土地利用が昔から

続いていたからだと考えられます。そして,最近草原が維持できなくなってきたのは、
そういった伝統的土地利用が行われなくなったことが最大の原因として挙げられます。

つまり、草原というのは「自然」に成立したものではなく、自然の力と山村の伝統的土地利用の両方によって育まれてきた、
いわば「自然文化遺産」であるというのが私の認識です。

そのため、草原を保護していくためには自然だけに着目していたのではダメで、草原を利用してきた山村社会の土地利用
と伝統的技術を含めて、地域社会そのものを再生していくことが大事だと私は思っています。

 

さて前置きが長くなってしまいましたが、ここからは乙女高原のケースについて具体的に分析してみましょう。

草地を維持するための技術としては、守山さんも書かれている通り、火入れ・放牧・草の刈り取りというのが一般的ですが、
乙女高原ではどんな方法が使われていたのでしょうか。

この疑問を解く鍵となる植物は、乙女高原の名物「レンゲツツジ」ではないかと私は考えます。
実はレンゲツツジは有毒植物のため、放牧地のなかでも牛たちが嫌って食べ残すということが知られています。

そのレンゲツツジが大量にあるということは、乙女高原の草原は、かつては放牧地であった

可能性が高いと思われます。

この他にも、「牧丘」という地名の由来となった「牧の庄」(甲斐国志より)という古い地名、

標高が高く畑作にも水田にも向かない冷涼な気候であること、近くに金峰牧場という牧場もあることなど、
ちょっとインターネットで検索しただけでも、かなり昔から放牧が行われていたで

あろうという状況証拠はごろごろ出てきます。

というわけで、乙女高原の草原を守るためには、ボランティアによる草刈よりも、伝統的な放牧文化の復活を目指すのが
一番だというのが私の主張です。

 

とまあ、さんざん偉そうなことを書いてきましたが、実はこれらの意見にはちゃんと元ネタがありまして・・・
私は、同様の草原保全に取り組んでいる先進事例をたまたま知っていたに過ぎないのです。

 

以上、つらつらと書き殴ってきましたが、参考になりましたでしょうか。

実は私、小学校の2年から5年生まで富士吉田市に住んでおりましたので、山梨には多少の思い入れがあります。

こうやってお知り合いになれたのも何かの縁、乙女高原の草原保全活動も陰ながら応援していきたいと思います。

 

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『乙女高原メールマガジン』とは? (再録)

植原 彰

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乙女高原は,わが町・牧丘町にある標高1700メートル・亜高山帯の草原です。

まわりは森なのに,ここだけは約3.4ヘクタールの広さの草原です。初夏のレンゲツツジや

夏のお花畑のような景観が有名です。

 

ぼくは,この乙女高原に魅せられ,20年間に渡って通い,自然観察を続けています。
今では自分にとってかけがえのない場所になってしまい,乙女高原の自然を守るために自分にできることは
何でもやっておきたいと思っています。このメールマガジンも,ぼくにとっては,乙女高原の自然を守るための一つの手段です。

このメールマガジンでは,ぼくの目を通しての季節ごとの乙女高原の様子や,ぼくが知っている範囲での乙女高原に
関する様々な取り組みについて紹介します。

 

お名前とメールアドレスを教えていただければ,希望者に無料で配信します。
また,ご迷惑でしたら,ご一報くだされば,配信を停止します。できましたら,お友達等にも紹介してください。
できるだけ多くの人に乙女高原のことを知ってもらいたいし,乙女高原の自然を守っていくために多くの人
からアドバイスをいただきたいと考えています。

 

皆さんからのご感想,ご投稿を楽しみに待っています。

 

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(この号は189人の読者にお届けしています)

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